《TBSドラマ「日本沈没―希望の人―」を観ていて、これは指導者像を問いかけているドラマだと感じた。タイトルにわざわざ“希望の人”とつけていることからもそれははっきりしているだろう。また、主人公の属する「日本未来推進会議」を初めとする官僚の面々が、目的が明確でないとほとんど盆暗なのに、一度やるべきことがはっきりすると能力を発揮しはじめるのは、日本人の能力に対する期待や認識をあらわしていたのだろう。などと考えている内に色々な思いが浮かんできた。ただ、これをまとまった文章にする気力はないので断片的な思いを並べて提示することにする。》
指導者の仕事は二つ。人々をまとめることと、行くべき道を示すこと。
日本の指導者は改めて人々をまとめる必要はない。だから楽といえば楽。
最終的に一番大切なのは国民が団結するか、しないかなのではなかろうか。そういう点では日本はまだまだ素晴らしい。独裁は少ない。少ない中での業績はどうだろう。中大兄皇子は成功だろうか。道長は私利私欲だろう。実際、宮廷政治以外、民衆に対して何をしたのだろう。それをつく研究が目立たないのも変。
頼朝は大成功。そうして、頼朝の時代以降、天皇がやる気を出すとろくなことにならなくなる。尊氏成功。信長挫折。秀吉が狂ったのは育ちのせいか。家康大成功。大久保成功。そしてこれ以降独裁に近い権力者はいない。日中戦争から太平洋戦争の時さえ権力の集中は弱い。諸外国はルーズベルト、スターリン、チャーチル、ヒトラー、ムッソリーニと強力な指導者に率いられていたのだが。
砂漠の民など、厳しい環境の民族は強い指導者を求める。日本はそれが必要ないくらい暮らし易いのだろう。
日本で、有史以降、国難と言えるものは幕末から明治へかけての時と太平洋戦争くらいなものだ。何しろ、結果的には局地戦で終わった元寇を最大級の国難ととらえているくらいなのだ。
日本にまとまりがあるのは、丁度いいくらいの国土面積がある島々から成っているなど、地理的なつくっている部分も大きいだろうが、天皇の発明とその運営が一番だろう。
個人的には天皇制には反対。それはただただ人道的な意味から。日本国民で公に人権が否定されている唯一の存在が天皇家。但し、もしも僕が日本の壊滅を目論むとしたら何よりも天皇制の解体を目指すだろう。日本の最大の強みである一体化する国民という特色は天皇制があってこそだから。
優れたリーダーが待望されて久しい。優れたリーダーがその手腕を発揮するためにはある程度は独裁的な権力が必要なのだが、それは許さない。
一つには、日本の憲法に大統領制ではなく、議会制民主主義を採用したアメリカの思惑があろう。そして、それは日本の国民性にも合っていた。
田中角栄氏、小泉純一郎氏と安倍晋三氏(彼らが優れていたかは置いておいて)という、ある程度権力が集中した指導者は近年において珍しい存在だ。
小泉、安倍と立て続けに権力を握ったということは、これが今後の日本の指導者像の形になるのかもしれない。我々日本国民が今は強力な指導者が必要なのだと考えているのかもしれない。
それに対して従来型の調整を得意とする岸田氏が首相になったのは、国会議員の抵抗のあらわれなのかもしれない。議員が自分の利益だけを考えたとしたら独裁型は嫌うだろうから。
結論めいたことを言うと、平時には独裁はいらない。それが必要なのは非常時なのだがその権力者が我々を正しい方向に導いてくれるのかは賭けのようなもの。だから我々としては優れた指導者を見抜ける眼力を養わなければならない。少なくとも風采や演説能力で選んでいるようでは先は暗いといわねばならない。