自民党総裁選の票読みも結構だが、各候補者及び野党も不充分ながら政策を訴えている。
これを機会に日本が向かうべき国の形に対する議論など政策論争をするべきなのではないか。
それはコロナ被害者への補償をどうしようというレベルの話ではない。勿論、それに対する議論も必要だが、もっと大きな、100年後を見据えた、突っ込んだ話が必要なのではないか。
マスコミは自民党各候補者と野党の主張を分析して各人の胸の中にあるであろう将来の日本のあるべき姿、または望まなくてもなってしまうかもしれない姿への覚悟などを報道するべきだらう。
しかし残念ながらその様な報道がなされることはない。(書籍の形ではあるのかもしれない)それはそんな報道をしても見聞きする人がかなり限られているからだ。
これは教育から変えていかなければいけないのではなかろうか。
文部科学省というのは比較的地味な省庁であり、大臣もなおざりに決められることが多い印象がある。
しかし言うまでもないことだが、将来の国の形を決める極めて重要な省庁である。
先の長い話になってしまうが、ここから変えていかなければ政治の現状はなかなか変わらないのだろう。
そうして、教育の理念を変えるためには文科省の官僚まかせではなく、やはりはっきりとした目標を持った大臣が必要なのだと思う。
そういう大臣が生まれるためには、今、大臣を選んでいるような、新しい総理に指名されるまで、自分が何の大臣になれるのかすらわからないようではいけない。
これは文科省に限った話ではないが、本来、大臣というものはその分野を専門家に扱ってきた人がなるべきだろう。
それが族議員といわれる人であってもいいのかもしれないが、今のように全くの門外漢が就任するなどという、ちょっと信じ難いことが慣例となっているのは直ぐに改められなくてはならない。
これは勿論簡単なことではないのだろう。何よりもそういった慣例に基づいた組織というものがカッチリと出来上がってしまっているのだろうから。
もうねぇ、無茶なことを言うが、資格試験があってもいいように思う。当選も二、三回したら将来に備えて各種大臣になれる資格をとる。 それは人によって、外務と防衛をとってもいい。厚生労働と文科省をとってもいい。財務だけとだてもいい。それがとれなければ大臣にはなれない。
それくらいのことをしてもいいようにも思う。