日本人以外、ほとんどの人にとって負けを認めることは自分はもとより家族、一族の存亡に関わることであった。日本人にとっては、それはその場の利益を失うだけであることが多かった(ように思う)。だとすれば両者に自らの非を認めることの対する違いがあるのは当然である。
しかし、西洋人などもそんな緊張が好きなわけではない。本当は日本的な優しい世界のほうがいいに決まっている。
もしも世界で(おおむね)平和が続てば日本的価値観がスタンダードになることだろう。
その時に当の日本人がそれまでの世界の標準的価値観にとらわれてしまって、謝らない、強情な民族になってしまっている可能性がある。
そんな哀しくも間の抜けたことにはならないで欲しい。