時事その他についての考察

東京オリンピック開催を巡る論争のほとんどが無意味であったこと

《初めに―オリパラというのは偽善であるのでその言葉は使いません―》

開催に賛成した人たち、反対した人たち全て目的は同じだったはず。

同じ目的のための手段についての議論であるならば妥協点はあるはずだし、それが決裂したとしても分断される必要はない。誰も得をしない。本末転倒というやつである。

そもそも、双方ともに本質を見誤った議論をしていたように思えてならない。

一度自分が利害関係のない宇宙人であったり、自分は後世の人間であって、歴史上の出来事を見ているつもりにでもなって客観的に判断するくせをつけたほうがいい。

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