時事その他についての考察

真面目というのは弱者の発想

その真面目さが他人に認められたいという欲求の故ならば、それは弱者の処世術に過ぎない。

それでは、そんなことが必要ではない、強者の真面目さはどうかというと、例え他人がその人を強者と思っていたとしても自分ではそれほどの自信はないのかもしれない。自分のことを心の底では弱者だと思っていて、他人に認められたいと思っているのかもしれない。

勿論、世の中には自信もあり、他人からもその存在を評価されている真面目な人もいるでしょう。

そういう人たちの真面目さをどう考えたらいいのかというと、それはおそらく、ただの習慣なのではないでしょうか。

大体は親の躾からでしょう。それが子供の頃から続いていると、いつしか自然な習慣になるのでしょう。

もしもそういう教育を受けてこなかったのならば、自分で身につけるほかはない。

我々も真面目でありたいと思うのならば、弱いから故ではなく、そういう真面目さを持ちたいものである。

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