一時期、“夢は必ず叶う”という言説が盛んに言われていた。
言っている人たちは善意で言っていたのだろう。
また、当然ながらそういう事を言う人たちは夢を叶えた人なわけで、自分が掴んだものを他の人たちにも掴んで貰いたいという、掛け値なしの親切心から出た言葉だったのだろうと思う。
実際に、彼ら彼女たちの言葉によって目標を目指す力を得て成功した人たちもいるだろう。
勿論、それは素晴らしいことだ。
しかし、その一方で身の丈に合わない目標を追求して結局達成できずに終わった人たちもいるだろう。
個人的には“夢は必ず叶う”という言葉は全くもって無責任な気がして嫌いであった。そもそも目標と言うべきことを夢と言っていることからも本気で達成しようとする意欲に欠けている。
それを言う人たちに対しては、それが自分がもともと評価していない人であったら、やはりその程度の奴だった、と思った。それまでは偉いと思っていた人に対してはその評価を二目盛りほど下げることになった。(レス・ポールが重すぎたのはあんたの方だったんじゃないの)
それが最近、“目標が達成できるかどうかはわからないが、その為の努力が無駄になることはない”、という言い方に変わってきた。おそらく、私と同じように感じていた人たちも多かったのだろう。そういう人たちが声を上げるようになったのではないか。
正しいことだろうと思う。
喜ばしいことである。
これも情報の開示の一環であると言えよう。
成功していない人たちは、特に未だ社会に出ていない者たちは、成功への道筋を知らない。そこへ成功した者、特に自分が好きな人に“夢は必ず叶う”などと言われるとその気になってしまうこともあるだろう。
これは、正確な情報を与えていない状態であると言えよう。悪く言えば騙しているのだ。
(くり返しになるが悪意があるわけではないだろう。そういう言い方をするのはおそらく、確信を持っていたほうが成功の確率がより高まるからだろう。また、口にはしないが例え成功しなくても努力が無駄になることはないとも思っているのではないか)
しかし正確な情報を与える意図がないことに変わりはない。
夢を語る人たちは反権力の人が多い印象がある。彼らの多くは “大人に騙された”と言っていた。
彼らの言っていた大人もその多くは悪意があったわけではない。自分の価値観でものを言っていただけだ。
騙していたとは、彼らの価値観以外の情報を与えなかったということである。
“夢は必ず叶う”というのはそれを言う人たちの考えであるに過ぎない。それ以外の情報を与えようとしていない点で、実は彼らが忌み嫌っていた人たちと同じことをしているのだ。
もう一度言うが、彼らは自分が嫌っていた、ほとんど憎んでいたことを自分がやっているのだ。