どんなに悲惨なことでも物事には必ず良い面がらある。
新型コロナでのそれは社会の遅れや歪みの多くがあらわになったことだ。
・給付金給付時の騒動、ワクチン接種の混乱に見られる社会のデジタル化の遅れ
・被害が全く終わっていないにも関わらず旅行や飲食を促進する政策を行う行政。今緊急事態宣言を解除したらまた被害が拡大するだろうことを国民の九割が理解していたのに解除する行政。その宣言に毎回根拠もなく期限を決めては延長を繰り返す愚行を行い続ける行政
・度重なる失政を犯す政府がそれでも安泰である政治
・ワクチンの開発、製造において先進国に全く太刀打ちできない現状
・そのワクチンの認許可に時間がかかりすぎるらしいこと
その他、私などよりあなた方のほうが詳しいのではないだろうか、問題が明らかになっている。
しかし本当の課題はこれらのことをこれからどうするのかということだ。
給付金の給付やワクチン接種はマイナンバーが普及していれば格段に手際よくやれただろう。
政治の問題は昔からの課題である。
ワクチン開発はお金がかかり成果が見えにくい自然科学の基礎研究をなおざりにしてきたというよく聴く問題と根が同じなのではないだろうか。
ワクチンの認許可は安全を重要視しすぎるともいえる日本社会とそれに準じた政策故。また万一健康被害が起きて責任をとらされる者がでたらその者は二度と浮き上がれない社会構造の故。
つまりはこれらは我々皆が選んできたことどもの結果に他ならない。
また、今回その欠陥が見えたからといって必ずしもそれらの選択が間違っていたというわけではない。運悪く状況に合わなかったという見方もできる。
本当にやらなければならないのは選んできたこと、選んでいることを認識することだ。
でもおそらく誰もそんなことは考えないだろう。
デジタル化は進むだろうがその他のことはどうなるのか私にはわからない。政治は変わらないだろうが。
いずれにしろ今後も自分たちが選んでいるのだという自覚もなしに変わったり変わらなかったりするのだろう。
突拍子もないことを言うようだが最近絆創膏の質が格段に上がっているのはご存知だろうか。
以前は巻いたばかりのものでも水に濡らすとすぐに剥がれてしまっていた。
ところが今の製品はそれが安価なものでもたとえ結構な洗い物をしたとしても簡単には剥がれないのだ。
絆創膏のことは知らなくても天気予報の精度が格段に上がっていることは日々実感されているだろう。以前は天気予報といえば当たらないものの代表格であったのものだ。
石原良純さんがテレビでお天気コーナーを担当されていた時にはよく外れた予報が格好の笑いの種になっていたものだ。
いずれも関係者各位の研究や努力の結果であろう。有難いことである。
しかしそれらのことはほとんど無視されているといっていい。
関係者の努力など想像することもなく何の感慨もなくその結果を享受しているようだ。さも当然であるかのように。
その精神状態と自分たちの選択を誰か他の者のせいにする精神状態は同じものなのであろう。