ヒトは集団生活をする生物であるので、情報を共有して、物事に共同して取り組む必要があります。
しかし、同時に、情報は財産でもあるので、ヒトは自分の持っている情報を他人に伝えたがらない。
私たちはこの矛盾した状態に置かれています。
ところで、何かしらのトラブルが起きたときには、みんなでそれに対処するべきなので、情報は共有されがちだし、そうなるべきです。
今、私たちが置かれているのは、正にそういう状態であるはずです。
それならば、情報は広く公開され、また無用な混乱を避けるために、一元化されるべきです。
現代社会で、その役割を担うのは国家であり、政府ということになります。
しかし、現実には私たちは新聞、テレビ、ラジオ、またはネットからほとんどの情報を得ています。
それが悪いわけでは勿論ありません。それはそれとして必要だし、大切なことですが、それらを踏まえた上での政府からの公式な見解が無ければならないと思います。
せっかく、内閣の定例会見という手段があるのに、それが十分に生かされているとは思えません。
コロナに関する必要な情報はそれを見れば十分であるまでに充実されるべきだと思います。
そうして、それを国民が共有するために、その会見そのもの、もしくは要点は地上波の各テレビ局のニュース番組で必ず放送されるように手配されるべきです。
当然、各新聞も報道するべきですし、その記事がすぐに見つけられるように、専用欄をつくるべきでもあるでしょう。
これはですから、政府の施策に関わることに限りません。
コロナの性質など、まだまだわからないことばかりです。その最新の知見、それに基づいた対応策など、本来政府の会見では言わない種類のことも今は言うべきです。
簡単に言うと、それだけ見ていれば他の媒体は見る必要がないくらいのことを発信するべきです。
これはニュース・キャスターめいた仕事になるでしょう。ただ、一つ決定的に違うのは、ニュース・キャスターは以前に言ったことの責任はとりませんが、政府はそうであってはいけないと言うことです。責任といっても、そんな大袈裟なものでは実はないのです。もしも、前に言ったことが間違っていたことがわかった時には、それを認めて、訂正すればいいだけです。
最新のことを言うのですから、時には前に言っていたことと矛盾することも出てくるものですから。
《本当は、コロナ禍が始まったときからいつかはこいうことをやってくれるだろうと思っていたのです。ご本人たちはやっているつもりなのかもしれませんが、あまりにも不充分です》