人皆こぞって当時の政府、ひいては現政府を非難することを言い立てるのでしょう。
そういった、人権に基づいた体の発言が嘘臭いのは、自分では本当には信じていないことを言っているからです。
ヨーロッパや北米の人たちのことは知りません。しかし、アジア人が人権というものを本当に理解しているとは思えません。
《当時の政府の決定は、中国が日本の隣国であるために制裁などをして国際社会から孤立するなどしたら政治、経済、軍事的に日本に大きな影響が起こりうるのを警戒したためであり、遠くにある欧米諸国とは事情が違う、という見方をする人たちもおられるはずです。しかし、それは原因の分析としてはその本質から外れたものです。すなわち、人権というものを理解していおらず、さして重要視していないためにそれらが理由になりうるのです。》
アジアの一員である日本人が人権を理解していないことは、一時期“命は地球より重い”という言葉が流行ったことからもわかります。
そもそも、命と地球という、比べられないものを無理矢理比べていることが、何か後ろめたいことを隠していることを表してしまっています。
自分が実感できないものを、無理に自分に言い聞かせるために、強引な言葉が必要だったのでしょう。
その言葉が日本以外でも言われているものか、私は知りません。もしも欧米でも言われているものだとしたら、彼らも人権というものがわかっていないことになります。
欧米が発祥のもので、道徳に関係するものならば、大抵その起源はキリスト教にあるようです。それが、キリスト教を理解していない我々アジア人に人権という考えが今一つわからない理由です。
アジア、特に東アジア文化圏では、中国思想がいまだに支配的です。もっと言えば、それは儒教であり、個々の権利よりも、全体の利益、秩序をより大切と考える考え方です。
対して欧米型の考えでは、個々の利益、権利がまず大事であり、それが集まって全体の利益、秩序に繋がると(多分)考えます。
それがアジア人に欧米人がいうところの人権というものが理解できない理由です。
くり返します。欧米型の考えでは、人権が何よりも大事なものです。政治、経済、軍事的な事情などは、その後にくるものです。ですから、それらを理由に人権を無視することは考えにくいことなのです。
《欧米といえども、例えば国の存亡がかかるときであれば人権を無視したこともするでしょう。しかし、そう、簡単にはそうはしないということです》
天安門事件に限らず、ことが人権がらみになると、日本がどう振る舞っていいのかわからないように見えるのは、それが理由です。
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