初めに寅子の口癖である、「はて?」を聞いた時に変な感じがした。少女にしては余裕がありすぎる。これは明らかに相手より精神的に優位にある者の物言いである。
ドラマの中で今まで幾度もその言葉は発せられているが、それに続く言葉たちは確信を持って放たれているか、答えははっきりとはわからなくとも、少なくともそれに疑いを持つ自分には絶対の自信がある者の言い方であった。
つまり、寅子は人格的には既に完成されている存在なのだ。
勿論、まだ知識や技術は未熟である。この物語は、寅子がそれらを獲得し、それを武器にして社会と対峙していく話なのだろう。
しかし、考えてみれば、ドラマの、それが朝ドラであっても、主人公にはそういう種類の人が少なくない。こちらが朝ドラとは主人公の成長物語だ、という先入観に囚われていただけなのだろう。
例えば、「ワン・ピース」のモンキー・D・ルフィ。
久しく読んではいないが、少なくとも(私が読んでいた)エースがいた頃までは常に確信を持って行動していた。
朝ドラで言うと、強い主人公のものは概ね同じなのではないか。
私はそんなに朝ドラを観ているわけではないが、「カーネーション」とか、「おちょやん」などは同じタイプの主人公であったと思う。
おそらくなのだが、「虎に翼」では、社会の矛盾に焦点を合わせたいのではないかと思う。だから主人公の葛藤などを描いて、物語がぼやけるのを防いでしるのではないか。
実際に、これまでのところ、主人公の悩みなどより、これを取り巻く環境や物語そのものが多く描かれ、視聴者もそれに集中できるので、より話を堪能することができている。(それでいて主人公に対する不満がないのは、制作者の工夫と演じる伊藤沙莉の魅力故だろう)
だから、今後も主人公の恋愛や、朝ドラでは定番である、戦争の悲惨さをくり返し描写することも少ないのではないだろうか。
※主人公の成長物語の朝ドラも勿論あって、(私は観ていないけれど)今、再放送中の「ちゅらさん」などはそうなのではないかと思う。しかし、世間の印象とは違い、朝ドラが成長物語である割合はかなり少ないのではないか。何故なら、成長を見せるためにはその前の未熟な状態を見せなくてはならないからだ。そうして、未熟な状態とは、我儘であったり、生意気であったりするので、その状態の主人公を見せて、しかも視聴者を共感させるのはかなり難しい。
※また、成長物語とはいっても、それは制作者の思惑の中で纏まっている物語である。つまり、大人になって成熟した制作者たちが、自らが未熟であった頃を振り返って人物造形をしているのである。しかし、私の知る限りで唯一の例外が「おかえりモネ」である。あの物語には、制作者が作品を作りつつ、同時に自分自身の問題として答えを見つけようとしていた手触りがあった。モネには常に不安定で危うい雰囲気があった。だから「おかえりモネ」は未だに一部の視聴者から熱烈とも言える支持を受けているのだろう。
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