最近、とても真面目で仕事熱心。だけど決定的に理解力に欠ける、という人と一緒に仕事するようになったのよ。
まず、理解するまでに時間がかかる。そして偶数発的なことがあると対応できない。
でも、ちゃんと理解したことはきちんとやる。ちゃんとした人なのです。
昔話を聞いたら、若い頃けっこうグレて高校も中退したそうなんよ。
性格も本当は短気だけど、努力して人当たりよく、直ぐにかっかしないようにしているように見えるんすよ。
結構、偉いなぁ、とも思うんすよ。
でも、あの理解力で学校の授業についていけたはすがないと思うんよ。
悪さするようになったのも、それが大きかったんじゃあないかと想像するんですよ。
それでね、仕事の話をしていて自分の都合の悪い方に話が進むと、誤魔化したり、ほんの少し前に言ったことと逆のことを言ったりするんよ。
思うに、これも小さい頃から学校で理解できないことばかり言われ続けて、でもそれがバレるのは恥ずかしいし下手したら居残りとかになっちゃうから誤魔化し続けたのが癖になったんじゃないかと勝手に考えるのですよ。
考えてみてください。ほんの小さな頃から強制的に理解できない話を1日中聴かされて、しかもわかっていないことを相手に悟られてはいけない、という恐怖と戦ってきた生活。
やっぱり学科ごとの能力別のクラス編成は必要だと思いますよ。
別に算数が不得意でも国語は得意とか、体育なら優等だとかもあるでしょう。
なかにはほとんどの科目が不得意、という生徒もいるだろう。それでもほとんど理解できない授業を延々と受けつづけるよりはいいと思うけれど。
大体、世の決まりを作る人たちは優等生ばかりだから優等じゃない人たちの気持ちなんかわからないのだ。
更に言うと、決まりをつくるのは大人になった人なので、当事者である、生徒、児童の気持ちなんかわからないのだ。いや、わかってしまうと面倒なので、忘れたことにして済ましているのだろう。