※初めに断っておく必要があるかもしれない。私は安倍晋三という政治家を評価しない。その能力、実績がどうあろうと、わずかな逆風が吹くだけで仕事を投げ出すような人は信用できないからだ。もしも根本的に私が間違っているとすれば、それは安倍氏の後に責任を押し付けられた人や周りの人たちが、それを承知で、しかし、エースである安倍氏を守るためにあえてそれを行った場合だけだと考える※
安倍氏の実質的には遺産と言えるであろう政治団体の資金が、妻であった昭恵氏に継承されていた、ということが話題になっている。
事実上の相続税逃れだというわけだ。
手続き上のことやその他問題点が指摘されているが、もしもそれらが不問だということになれば、これはおそらく法律上では問題のないことなのだろう。
すなわち、実質的な相続税逃れが合法的ということだ。
人々がこれに怒るのは当然だろう。しかも、おそらく、これは安倍氏だけのことではなく、よく政治家が基盤を譲る、という時に慣習的に行われていたものだろうとも推察できる。
更に言えば、やり方としてはすなわち、資産を個人名義ではなく、団体名義にすれば同じようなことができるのだろうとも類推できることから、大企業の社長がその子供にその座を譲る時にも同じようなことがやられてきたのではないかとも考えられる。
結局、世の中の規則を作っているのは富や権力を持っている者なので、自分たちに都合のいい規則を作っているのだろう、と思ってしまうのだ。
それは確かに腹立たしい。そういう恩恵を受けることのできない我々としては許せないと思うのも当然だ。
しかし、仮に、仮にですよ、安倍晋三氏とその後継者が日本に欠かせない、有益な人物であると仮定しよう。
そうすると、安倍氏の実質的な遺産に正規の相続税がかかって後継者の資産が大きく目減りした場合、その政治活動がかなり制限されることになる。やはり、お金は力なのだから。
別の例で言うと、良く、個人の名前のついた美術館や美術展がある。
それは、莫大な財産を持った人がその私財を芸術作品につぎ込んだことが元になってできたものだろう。
しかし、今生きている人の中で、同じことができる人はいないだろう。やはり財産というのは一代で作るには限界がある。(これは、実際のお金に限ったことではなく、例えば美術品の審美眼なども含まれる)
また、かつては財産家が芸術面に限らず、有望な若者を支援していたということも良くあった。
これは、本当は国など、公共機関の仕事なのかもしれない。
しかし、公共機関であれば、実際に支援するまでに審査などの手続きが必要だろう。
個人であれば、その財産をどう使おうと縛りごとはあまりない。
現行の相続税の税率などは詳しく知らないが、今の制度ではそういう事を行うの難しいだろう。
今まで言ってきたことは、相続税という制度の良し悪しの問題になる。次に、制度とその隙間について考える。
世の中には様々な制度や規則がある。それは必要なものであるだろう。
しかし、全てにおいて正しい制度や規則というものはおそらく無い。
言い換えれば、完璧に守られた、違反者を絶対に許さない制度や規則というものがあれば、それは世の中のためにはならない。
世の中は千差万別であらゆる現象に満ちている。
だから、世の中には抜け道というものがある。
今回の安倍氏の実質的な遺産の継承の問題も、その抜け道の一つだろう。
少し声を落とさなくてはいけないが、抜け道は権力者や富を持つ者だけが利用しているわけではない。
そうではない一般市民であっても(スケールはかなり小さくなるが)同じことはある。
あくまで一般論であるが、抜け道は必要なものであろう。
ところが、現在の技術は、抜け道や遊びのない制度や規則を可能にしつつある。
言い換えれば、完璧に管理された社会が生まれることが起きつつある。
これは、人類が今まで経験したことのないことだ。
スターリン時代のソビエトでは密告が常態化して、子供が親を訴えることさえあった、とか、日本の江戸時代の五人組など、為政者は何とかその支配下にある人々を管理しようとしてきた。
しかし、完璧に管理することなどはできようはずはなかった。
それが、今、マイナンバー制度を手初めに、日本で行われつつある。
世間では、マイナンバーに対しては、政治家や官僚に悪意がある、という前提に立った批判がほとんどだ。
しかし、もしも、彼らが全くの善意で、社会をより良くしようとしてこの制度を推し進めていたとしても、その結果、我々がどうなってしまうのかはまだわからない。
閉塞感に満ちた、誰もが暗い顔をした世の中ができてしまうのかもしれない。
※これはさらに小声で言わなくてはならないのだけど、犯罪というのも必要悪なのだと思う。全く犯罪のない社会などというのは、人間が生きられる社会ではないのではなかろうか。