コンフィデンシャルマンjp運勢編のなかの場面。
敵役が、成功するためには運などに頼るのではなく、やるべきことをやるだけ、と説く。その後に具体的にやるべきこと、自分がやってきたことを列挙する。
自己啓発本や実際に成功した人たちが言うような台詞だ。
間違ってはいないし、もっともな言葉だと言ってもいい。
しかし、我々はいい加減、この手の言葉にうんざりしていないか?皆がやるべきことを全力でやり続けることが出来るわけではない。
それに、そういう人ばかりになると、競争のハードルが上がって成功のための努力の量も変わってしまうだろう。
のようなことを漠然と思いながら続きを観ていると、ドラマの中でも主人公が同じようなことをいい、敵役を打ち破る。(その後、敵役の台詞は虚勢に近いものだったことまで明らかにされる)
古沢良太の作る物語の特徴であり人気の原因は、笑えるところと、緻密に練られた展開にあるのだと思う。よく伏線回収というが、本当に見事な伏線は近来では古沢良太脚本のドラマ以外に思い当たるものがない。
《コンフィデンシャルマンjpは詐欺師の話なのでどんでん返しがあるのは当たり前だが、伏線ということで言うと、彼が初めて連続ドラマの脚本を担当した「ゴンゾウ」を挙げなければならない。
ゴンゾウでは、スリリングに物語が展開されていく。全十回の中で物語は進んでいくのだが、第九話辺りからそれまで普通にドラマとして語られてきたいくつかの挿話、それらは話としては完結しているのでもう触れられることはないだろうと思われていた挿話が実は伏線だったのだということが次々と明らかになる。
これは本当に見事なのものであった》
しかし私にとって古沢良太とは、エンターテインメントの連続ドラマでは、普通では表現しきれない洞察を、あくまでもエンターテインメントの枠内で表現する、することのできる稀有な存在であることが一番なのだ。
《初めに述べた運と努力の話は、やるべきことをやり続けているだろう古沢良太の書いた台詞だと思うとまた考えさせられることがある》
よく、あの人に会いたい、などと言うことがある。憧れの存在、目標とする人などに会ってみたいというのは多くの人が望むことなのかもしれない。
しかし私にはそういう会いたい人はいない。自分がその人のことが好きでも、相手はそうではないだろうと思うからだ。会っても困惑させて迷惑をかけるだろうと考えてしまう。
しかし、古沢良太だけは会ってみても大丈夫なのではないのかと思ってしまう。考えていることが似ているので話が合うのではないかと思うのだ。