時事その他についての考察

ひろゆき氏の最大の特徴は、その冷静さであること

世間に遅れること何ヵ年、最近ひろゆき氏のショート動画を何本か観た。

ネットからの相談や質問に対して答えるものも視点が斬新で面白いけれども、やはり有名人と対決する動画がエンターテイメントという面では勝っている。

こういう直接対決は、はまれば受けるけれども、勿論危険でもある。

情けない敗北をみせてしまったら商品価値が大きく損なわれてしまうからだ。

最近では、昼過ぎのワイドショーで橋下徹氏が紀藤弁護士に完全論破されたということがネットに多数流れた。

私はそれを直接は観ていないので、どの程度の論争だったのかはわからない氏、橋下氏が本当に論破されたのかもしらない。しかし、こういうことは事実がどうだったのかはあまり関係が無い。

「橋下徹が紀藤弁護士にフルボッコされた」という印象が出てしまったことが橋下氏にとって大問題なのだ。彼はその商品価値を大きく下げてしまった。

初めに言ったように、私はひろゆき氏について詳しいわけではない。しかし、私の知る限りでもひろゆき氏は何度か論破されているようだ。

「何々さんがひろゆきを完全論破!」といった見出しを何度か見たことがある。

しかし、それによってひろゆき氏の商品価値が下がっている感じはしない。 

これは何故なのか、言葉を変えると、橋下徹にとって大きな問題になることが何故ひろゆき氏にはそうならないのか。

その答えがタイトルに書いた彼の冷静さではないのか、と思うのだ。

一般に、ひろゆき氏は頭がいいと思われている。(何をもって頭がいいとするのかという問題はあるが)それに反対はしない。

しかし、彼の言う程度のことならば(大きくでるようだが)私にも言える。これは自慢でも見栄でもなく、おそらくこれは成人の1%くらいの人に当てはまることだと思う。

でも私にはひろゆき氏の真似事はできない。同じ程度のことは言えるが、考えるのに時間がかかってしまうからだ。彼のように間髪入れず考えをまとめることはできない。

これはおそらく先程いった成人の1%のほとんどに言えることで、だからそれができる、ひろゆき氏や橋下徹氏などが貴重なのだ。   

《これは推察になってしまうが、ではひろゆき氏や橋下氏に時間が与えられれば、より深い考えが浮かぶかというと、そうではないと思う。回転が早いからといって、洞察がよりすぐれているというわけではないと思う》

それでは、その選ばれた存在である、ひろゆき氏と橋下徹氏であるが、その二人の更に分ける条件とは何であるか。負けると価値が下がる橋下氏と負けても下がらないひろゆき氏の違いとは具体的に何なのか。

人はどうしても自分の意見を大切にする。言葉を変えると自説に固執する。他人と議論をしていて、形勢が不利になっても何とか挽回しようとする。

それで上手く行けばいいが、いかないことだってある。その時に、自説に固執してしまった人は完敗したという印象が免れ得ない。

対して、ひろゆき氏はどうか。彼は不利になった自説にこだわることがない。あっさりと相手の優位を認める。だから負けても印象としては潔さが残り、イメージの損壊は少なくて済む。

こんなことができる人はほとんどいない。こんなことができるのは実は元々自分の意見に固執していないからだろう。ということは、(例えそれが自分の考えだとしても)たかがヒトの考えることなどは大したことがないのだ、と思っているのではないか。

それは、もっと延長すれば、ヒトの世などは滅び更に言えば、世の中がどうあろうと、これからどうなろうとどうでもいい、と思っているのだろう。

物事をよく見るには客観的になるのが一番で、客観的とは他人事として見るということだ。

ひろゆき氏はそうすることがとても上手い。

《彼にはしがらみが少ないだろうということも大きい。これは芸術家や発明家など、基本的には自分の才覚だけでやれる人だけが持てる特権)

 

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