時事その他についての考察

トラウデン直美さんの発言は民主主義の根幹に関わること

《話題になった経緯を簡単に書きます。ご存知の方は飛ばしてください。

政府主宰の環境対策を検討する会議に、タレントのトラウデン直美さんが出席されました。

そして、提案として、環境問題を解決するには、私たち一人一人が意識をかえていかなければいけない。

また、変えた意識を現実に反映する方法として、店頭で何かを買ったときに、店員にその商品が環境に配慮したものであるのかどうかを聞くことがいい、そういう小さなことが状況を変える力になるはずだから、といった趣旨のことを言われました》

それに対してネット上などで議論が生れたらしいのです。その多くは、そんなこといちいち聞くわけ無いだろう、とか、自分の主張はすべて正しいのか何様だ、などという批判だったらしいです。(まあ、そりゃあそうでしょうね)

その中の一つに、我々一人一人の行動などから物事を変えようとするより、実際に政策を作っている人が法律などで強制的に変えていくほうが効率的だし、そうでなければ変わるものではない、というものもありました。

トラウデンさんの発言のすべてや、前後の脈絡を知っているわけではないのではっきりは言えませんが、もしもその発言が私の想像している通りだとしたら、トラウデンさんは非常に正しい。(だからといって、私は店員さんに商品の説明を求めたりはしませんが)

民主主義というものは、自分たちの欲しいものを政策実行者に要求して、それを勝ち取るためだけに出来たものではありません。

民主主義の根幹である国民主権というものは、国民が政治に関われる権利であるだけではなく、社会をどうやって維持していくのか、周りの変化にどう対応していったらいいのかなどを自分の事として考え、提案し、議論する義務があるということです。

そうしてそれは、いくら国民主権の制度が整っていたとしても、当事者である私たちが積極的に関わらなければ機能しないものです。

「仕事と家庭でそれどころではない」と言っている限りは、民主主義国家の一員であったり、選挙権を持つ資格がないといっていいでしょう。

実際に、本当は我が日本国は民主国家である資格はないといっていいでしょう。

それが、曲がりなりにも民主主義国家であるような振りができているのは、欧米諸国が存在しているからです。

世界に国が日本しかなければ、すぐにでも江戸時代のような政治形態に戻ってしまうことでしょう。

諸外国の目があるので、民主主義っぽいことをやらざるを得ないというのが、日本の現状です。

トラウデンさんに話を戻しますと、民主主義社会の条件としての、皆で議論をして政策を決める、という段階は、トラウデンさんが出席された会議では既に環境問題を解決する方法を考える、という方針が決まっていたために関係のないことでした。

トラウデンさんが言ったのは、民主主義社会としてはその次にやるべき、構成員である私たち一人一人が、意思表示や行動をするべきであるということです。

その例として言ったことが少しばかり極端だったからといって、その真意を考えようともせずに非難するなどという行為は、正に、日本の民主主義が形だけのものであることをあらわしてしまった事例だと思います。

あまり変なことをいっていると、トラウデンさん、ドイツに取られちゃいますよ。

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