全知全能などというものを持ってしまった存在が陥るのは絶望しかない。
日本における、自死してしまった文学者といえば、太宰治、芥川龍之介が思い浮かぶだろう。
両人とも、人間に対する深い洞察力が顕著である。
人間というものがわかってしまった時、人はどう思い、どう感じて、どんな行動をとるのだろう。
初めはその力を利用して他人を操ったりして楽しむかも知れない。女遊びなどは意のままである。
しかし、そんなことには飽きてしまうのではないか。
結局、我々が人生を楽しんでいられるのは、わからないことばかりだからだろう。全てを悟ってしまえば退屈だけが残るだろう。
いや、太宰治や芥川龍之介が何故死を選んでしまったのか、本当のところは知らない。
しかし、その理由のなかにわかってしまった者の絶望が含まれているのは確かだろう。
一神教には、全能の神のというものの存在が仮定されている。
何を信じようと人の勝手であろう。しかし、神の孤独や絶望を知らず、知ろうとも、想像しようともしない人たちを、私は信用はしない。