時事その他についての考察

太宰治は鬼畜か

太宰治が人間的には最低であった、という挿話はインターネット上に溢れているので興味のある方はそれらを参照して下さい。

ここで言いたいのはそもそも作家というものは人非人だということだ(ここで言う作家は物語を作る人全般ということなので、漫画家や脚本家なども含む)

面白い物語をつくるためには登場人物を効果的に不幸にしなければならない。そうしてそれは、その登場人物が魅力的であればあるほど効果が高い。すなわち面白い、売れる物語ができる。例えば年端もいかない少年少女を残酷な運命におとしいれたりする。

そんなことができる人間が善人であるわけがない。

実生活でどう振る舞うのかは人によるだろう。自分の作る物語の中で自分の残酷な部分を昇華させる人もいるだろう。その結果、その人は実生活ではとても優しい人であるかもしれない。

または物語の中で人を駒として使っているように、現実世界の人間も駒としてしか見られなくなってしまう人もいるだろう。優れた物語を書ける人は現実世界で他人を操る技術にも長けているだろうから、そういう人は他人に対して残酷なことをするかもしれない。

太宰治という人は後者だったのではないか。

ただ、その対象は主に性的に気に入った女性に向かっていたような感はある。

それ以外の人には優しかったのかもしれないが、それはただ興味がなかったからではないかと思う。 

どうでもいい人間は適当に優しくしておけばいい。味方にしておいて損はないから。

※断っておかなければならないが、私は太宰治の結構熱心な読者である。上で述べたことは彼の最も卑しいであろう部分についてであって、太宰治には凡人にはわかりえないような高貴な部分も確かにあった筈だとも思っている。