ここでは歴史上の為政者のことは考えない。現代のそれのみを対象とする。
一般的には戦争などというものは自分では戦地に行くこともない為政者が独りよがりの思想のもとに始めるものだと思われているのでないか。
勿論、そういう場合もあるだろうが、それはどちらかというと最高権力者を取り巻く大臣クラスの行動原理なのではないか。
実際に決断をしなければならない者は、そう単純な精神じょうではないのではないか。
そもそも、国を運営するなどということは、常人が成せることではない。普通の精神では、そんな責任に耐えられるものではない。
しかし、実際に世界には多数の国があり、それぞれの国に指導者がいる。彼らはどのようにその責任に耐えているのか。
当然、人によって様々な対処の方法があるのだろう。しかし、これは勿論推測でしかないのだが、多くの指導者たちは、国と一体化することでその問題をこなしてきたのではなかろうか。
こなしてきた、という表現は適切ではないだろう。
元々,国家と個人を同一化できるような、特殊な精神の持ち主が指導者を目指すのだろう。
そうして、彼にとっては国の問題は自分の問題である。
それは、個人が自分の責任と判断で他人と争うことが国家レベルでやれる、ということだ。