新型コロナが流行する前オリンピックにおける最大の懸念は大会期間中に予想される日本の夏の暑さであった。
勿論そもそも七月から八月にかけての日本で大ががりなスポーツイベントをすることが無茶なことであるが、皆、あたかもそれは動かせない前提であるような振りをして対策をとっていた。
十分な対策などは出来るはずもないがそれでもそれなりに進められていたようではあった。
オリンピックの延期が決まったのは確か去年の三月であったかと思う。
正式に延期が決まるまでは大会の準備は完全に止まりはしていなかっただろう。
しかし行政は延期が決定したときには既にコロナ対策で手一杯でありオリンピックの運営に関わっていた方々もそのほとんどはそこから離れざるを得なかったであろう。
残った方々も競技場の借り換えや選手村の取り扱いなどなど手続きに追われて暑さ対策などではなくなっていただろう。
そもそもそれに関わっていた人たちが残っていたはずもない。
どうやら東京オリンピックは開催されるらしい。
オリンピックといえばどの国でやるときも競技場の建設は間に合うのかといった報道が出るものである。
おそらくではあるが東京オリンピックに関してはその手の問題はクリアしているだろう。しかし当時さかんに言われていた暑さ対策はどうか。延期が決まった時までに考えられる対策の準備は終わっていたのか。
それとも正に今我々の目に入らないところでやってくれているのか。
去年は大会予定期間中は雨がちで気温は低めであった。
しかし今年は相当に暑くなりそうだ。
問題がないのが一番ではあるがもしも競技に支障が起きるようなことがあってもそれが本当の意味でのアスリートファーストにつながるきっかけになれればとも思う。
しかしもしもそうなった時には“東京オリンピック”というのはスポーツ選手が道具扱いされていた時代の象徴として記憶されることになるのだろう。
※世の中にはタイトルだけで内容がすべて予測される文章が沢山あります。私は気が短いせいかそういう文章を読むことが苦痛です。論説の類いの文章は物語ではないのだから筋立てがはっきりしていてもそれを追うだけで楽しいといったものではないでしょう。しかしそうではないのかもしれない。自分の考えることを文章であらわされることそれを読むことは快感なのかもしれない。読ませる文章であるかという問題なのかもしれない。それとも落ちがあればいいのかもしれない。よくわからないままに挑戦はしてみました。私は文才はありませんが推敲をする能力は少しあります。結果は自分では判断しかねます。