時事その他についての考察

この冬は各種スポーツの大会が平然と開かれています

夏は大騒ぎでした。高校野球が一番話題でしたが、その他各種インターハイも確か全部中止でした。

今、新型コロナは増え続けています。ワクチンも日本ではまだ処方されていません。状況としては夏よりも厳しいわけです。

それにも関わらず、各種大会は中止されるどころか、やるか、やらないかの話すら一般には知らされませんでした。

《これはプロスポーツの試合が滞りなく行われ続けられたことが大きかったのでしょう。それによって、ちゃんと予防をしていれば、スポーツの練習、試合をすることも許容範囲であることが私たちの間での了解事項になったのでしょう》

私は、何もスポーツの大会を中止した方がいい、と言いたいわけではありません。ただ、その決定される道筋が曖昧であり、それにもかかわらず縛りつける力は強く、また、その決定に反対する有力な情報が入っても、それを変えるのは簡単には出来ないことを言いたいのです。

私たちは鰯の群れとほとんど同じなのです。

鰯たちも、どこに向かうのかということは何かの情報に乗っ取って決めているのでしょう。水温とか海流とか、もしかしたら匂いとか。

もしも群れの中程に目敏い鰯がいて、群れが向かっている方に敵がいるとか、群れの方向とは違うほうにプランクトンが沢山いることを見つけても、群れの方向を変えることは出来ないでしょう。かといって、自分だけ群れを離れればより危険になるだけです。

もしかしたら、群れの先頭にいれば決定権もあるのかもしれません。しかし、仮にそうだとしてもそれを得るには鰯界での階層を上がっていかなければいけません。

人間社会も大体同じでしょう。

お忘れかもしれませんが、夏前には、部活の練習をやめなかっただけでテレビで叩かれた学校、指導者もいたのです。

その学校、指導者は、感染対策を考えて、最小限の危険性のなかで部活動をしていたのかもしれません。しかし、それは私たちの中では問題の判断基準にはならないのです。

問題は、世間で決まったことに従わなかったことにあるのです。それを、はっきりと決めたか、なんとなく決まったのかは関係ありません。科学的根拠に基づいてリスクを最小限度に抑えていようと、これも関係ありません。

決め事に従わなければ、罰を受けるのです。

それは、人類が原始の時代からの経験で学んだ、生き残るための方法なのです。それは鰯と同じなのです。

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