時事その他についての考察

いわいる失われた30年は実質的には鎖国時代と同じこと

日本の江戸時代というのは勿論色々問題はあれどいい時代だったと言っていいだろう。何といってもおよそ260年の間大きな争いが無かったのだから。

しかしそのその平和をもたらしていた原因の一つが実は問題でもあったというのがその時代の終わりになって明らかになってしまう。

すなわち外国との交流が限定的であったことにより欧米との発展に大きな格差が生まれてしまったことだ。

本当は随時西洋の優れた科学などは伝わってきていたので当然それは兵器や戦術など戦いの分野にも及んでいるだろうことは予測できた筈であり実際にそう思った者もいただろう。戦国時代末期の鉄砲伝来の衝撃を思い浮かべた者もいたかもしれない。

本来であればそれは政策に生かされ、西洋に使節が派遣され兵器や科学技術、社会制度に関する研究がなされていても不思議ではなかった。

しかしそうはならなかった。日本が本格的に欧米と対峙するのは現実を逃げ場なく突きつけられるまで待たなければならなかった。

さて現在はどうであろうか。一般的には日本は既に世界に開かれ随時情報も入っているしそこに取り入れるべき進んだ技術や制度があれば速やかに吸収していると思われがちではないか。なにしろインターネットによってあまねく国民の多くが世界中の情報を直接入手している時代である。 

しかしそうではない。現状は江戸時代とそんなに変わらない。

勿論その分野の専門家、先端にいる者たちは貪欲に吸収しているだろう。兵器や科学技術などはその進歩が諸外国に遅れてしまったら速やかにそれを取り入れる努力はするだろう。少なくとも自らが遅れていることを知らないということは無いだろう。

しかし社会全体では鎖国時代とさほど違いはないのではないか。

ネット社会といっても一般人が外国から直接情報を取り入れるには言葉の壁がある。

情報をスマートフォンの画面に写す事はできるがそれを解読することはできない。

結局大多数の者たちは情報の入手をマスコミに依存することになる。そうしてマスコミは重要な情報を必ず流すわけではない。

結局我々は何も知らないのと同じことだ。デジタル社会の発展において日本が遅れていることも聴いてはいても大して気にしていない。自動車の自動運転が一部の国では既に実用化されているのも、ちらちらその情報が入ってはいても日本の遅れに焦燥するわけではない。

今後何年か十何年かの期間生成AIや量子コンピュータなどの技術が決定的な役割を果たすだろうことに多くの者は気付いているだろうに政府が科学技術分野の発展を蔑ろにしている。

それは人間の生物としての本能でもあるのだろう。現状維持、保守的であるというのは生き残るための重要な戦略であるのだろう。

江戸時代だって現代だって世界が日本だけで完結できるのであれば今のような心構えでいい。

しかし弱いままでは外部の悪意ある勢力の進出を食い止めることはできない。

江戸時代までと違って海はもう大して守ってはくれない。

しかしわ我々が真に危機を受け止めて行動に移るにはまだ時間がかかりそうだ。そうして、江戸時代と違って今度は間に合わないかもしれない。