時事その他についての考察

人類の上層部ではなく、その全体の知性レベルはどれ位なのだろう

随分と驕ったものの見方に聞こえるかもしれない。

しかし、世界の多くの国が民主主義を採用して、国民ひとりひとりの良識が重要になっている現代においては極めて大切な問題なのだ。

考えてみて欲しい、今までの我々は知性や良識の最前線レベルを上げること、またそれを啓蒙することに懸命にはなっていたが、それを底辺まで浸透させることにはあまりにも怠惰であった。

いや、義務教育制度というものがあるだろう、と人は言うだろう。

そういう人は知らないのだ。義務教育というものは結局のところ知識の詰め込みにすぎず、最も重要な「物事の考え方」については、《元々それを吸収できる素養のある者達を除いて》ほとんど益することがない、ということを。

それどころか、なまじっか少しばかりの知識を得ることができるために、非知性的な思考しかできない者達に変な自信を与えていることに。

世の中の表舞台に出ている人というのは大抵、最低限の知性を持っているだろう。 

そうして、そういう人たちの周りには大体同じくらいのレベルの人たちが集まっているだろう。

だから彼らは知らないのだ。世の中の多くは、簡単な因果関係を、それを論理的に説明されても、まったく理解できない人たちで占められていることを。

実はこれは義務教育の弊害でもある、ということは想像できるだろうか。

つまり、論理的思考が苦手な人が、まだ小さな子供である時からそれを理解することを強要された結果、まったく理解できなくても、理解した振りをすることを。

そういう人が大人になり、もしかしたらあなたと仕事を共有することになるかもしれない。

あなたは仕事のことを上手く説明するかもしれない。そして、相手はそれを理解したと言うかもしれない。

でも、それが本当かどうかはわからない。なにしろ彼らは理解していないことを理解した、と言うのが常態になっているのだから。そうしないと何時までも小学一年生のままであるという恐怖に突き動かされているのだから。

民主主義を当たり前に機能させるにはそういう非知性的な人たちに対する教育方法を開発しなければならない。

しかし、貴方がたはまだ、その問題があることさえ知らない。