かなり古い話題ではあるが、思いついてしまったので書くことにする。
暴力的なことが普通の社会が、それはまずいだろうと判断するのと、大抵のことをナアナアで済ます社会が、一線を超えたことには多少の暴力も必要なのではないか、と考えるという違いなのではないか。
前提から説明する。
アメリカではウィル・スミスの暴行は受け入れがたいこと、許してはいけないことと言われているらしい。
対して日本では、彼を擁護する発言が目立った。
これはつまり、元々暴力が一般的である社会(だって銃規制がされない国だ。カウボーイ精神みたいなのが残っているのだろう。事実としてスミス氏はコメディアンを引っ叩いた。日本でこんなことをする人はいないだろう。―出版社に殴り込んだビートたけしくらいか)と、それがあまり無い国の違いだろう。
お互いに自分にないものに価値があると考えているということだ。