時事その他についての考察

他人から「立派」と言われる人になるには腹を黒くしなければならないかもしれない

現代社会で立派な人、と言われる人は、

仕事ができる、余裕がある、感情の起伏がないすなわちつまらないことで腹を立てない、ユーモアのセンスがある、ような人だろう。

しかし、そういう人になるには、そういう人は、周りの人たちがやる愚かな行為や、人をいらいらさせる行為に対して、心の中で、冷めた、完全な軽蔑をもって対処しているのではないか。少なくても、それは自分の心の平穏のために、かなり有効な方法ではある。

また、それが上手くできれば、愚かな行為をしている人に対しても愛想よく、余裕を持って接することさえできる。

全く皮肉なことだが、周りを完全に軽蔑することが、周りから尊敬される方法でもあるということだ。

しかしながら、やはりそれだけでは何かが間違っている。

それだけでは周りに対する軽蔑を隠そうともしない、フィクションの中にだけ存在するようなろくでもない人間の仲間入りをすることになる。 

ここからは僕もまだ全く到達していない境地なので想像になるのだが、おそらくその矛盾を解決するには、相手の行動に対する軽蔑と、相手の人格に対する尊敬を区別して考えられるようにできればいいのではないかと想像する。

簡単に言えば、どんな人間に対してであっても、その人の尊敬できる側面をみる習慣をつける、ということだ。