時事その他についての考察

(主に政府への批判における)決めつける批判の盲点

例えば、オリンピックや万国博覧会の招致に対する批判で、政府関係者と業者が中抜きをするために画策した、という批判をする人たちがいる。

この批判はあたっているのかもれない、彼らは痛いところをつかれたのかもしれない。

しかし、理論武装は完璧なはずだ。仮に担当者に、その批判をもって問い質したとする。

しかし、問い質すのが私や、おそらくはあなたであればイベントの意義を説明され、また、中抜きに関しても適切な利益を得ているに過ぎないなど、懇々と説明され、簡単ニ論破されるだろう。

場合によっては我々も招致賛成論者に変えられてしまうだろう。

困るのは、そういう、単純な批判をするのが一般の人たちだけでなく、内部事情を知っているだろう人の批判も往々にして、同じく単純なことだ。

おそらく、そういう簡単な論調のほうが受けがいいからなのだろう。

当たり前のことだが、それでは相手を説得することはできない。何も変えることはできない。