時事その他についての考察

他者から攻撃されて自死を選ぶのは生物として異常なこと

生き物というのは、他者から攻撃されると攻撃を仕返すようになっている。怒りの感情というのはそのためにある。

もしも、攻撃をしてきた他者が自分よりはるかに強い存在であったら、逃げるようにできている。怖れをおぼえるというのはそのためにある。

しかし、ヒトにおいてはそれが上手く機能しないことがある。攻撃を受けた時に、相手ではなく、自分を攻撃してしまうことがある。自死というのはそういう、ヒトの機能不全から起きることだ。

(人間は社会が発達してしまった結果、攻撃する他者が目の前にいないことがある。目の前にいない者を攻撃するのは確かに難しく、それも一つの原因でもあろう)

無差別殺人をした者の犯行の動機が社会への恨みであることがある。

無差別殺人などは勿論、到底許されるものではなく、極刑が下されるのは当然だと思うが、生き物のしては自死よりも自然な反応だと言える。

そうして、もしも、無差別殺人すら自死よりも自然な反応だ、というこの仮定が正しいとすると、自死を選んでしまう人たちが多いこの社会は、そこまで周りからの強大な圧力がかかる社会というのは、相当に異常なものだと言えよう。

文明が進歩して、大多数の人たちが、たとえそれが最低限の暮らしであっても、生活することはできる、という人類最大ともいえる目標は達成可能なのではないか、というところまで来ている。(それはいわいる先進国の話だろう、とも言われそうだが、戦争さえなければ、現在とてもそんな状況にはない国々にも、ある程度は当てはまることではないだろうか)

しかし、物理的に生活ができるのとは別の問題である、心の平穏については、まったく置き去りになっている。

今までの文明、少なくても資本主義社会というものは、そのことに対しては全く配慮していない。

古代社会なら、我々の心を支えてきていた宗教はすでにほとんど機能していない。

世界中で、規範というものが危うくなっている。

※この点は、日本では特に顕著だ。明治維新と敗戦が日本人の規範、生きる上での指針を根底から壊してしまった。我々日本人は、何を信じて、人生の目標をどこに置いたらいいのか、ほとんどわからなくなってしまっている。昨今のグローバリズム、高度資本主義の確立がそれ追い打ちをかけた※

新しい倫理の確立が急務なのではあるが、今、最も説得力を持つのものはお金であるため、その裏打ちのない倫理を考える人は少ない。また、それを聴こう、一緒に考えようという人もほとんどいない。