時事その他についての考察

差別をめぐる様々な主張はただの権力闘争であって正義などではない

女性の地位向上や性的少数者の権利を求める運動があります。それらは言っていることは正しいし、社会的にも正しいことをしているように受け取られがちです。

しかし、それらは本当は自分たちが得をするためにしているのに過ぎません。

勿論、そういう運動をすることは当然の権利だし個々の案件には私も賛成です。また、私も自分の手の届くことでは協力したくも思っています。

しかし、所詮それらは利己的なものです。つまり、すべての人たちが平等な権利を持つべきだといったような理想を掲げたものでは決してないのです。

例えばママ友と言われる人たちの間では苛めというものがあると聞きます。そういう理想を持っているのであれば人の尊厳を踏みにじるそんな行為などはしないはずです。

はい、確かに女性の地位向上を訴える人とママ友仲間を足蹴にする人は違う人かもしれません。女性というだけでひとくくりにするのは間違っているのかもしれません。

それでは主に中年男性に対する理不尽な軽蔑はどうでしょう。スメルハラスメントなどという言葉がさも正当な主張であるかのように言われています。また、不潔そうに見えるだけで人格まで否定して反省の素振りさえ見せません。

高校生ぐらいまでなら仕方ないのでしょうが、社会人としてはどうなのでしょう。これは男性が女性の外見だけで差別していた、いるのと構造的には変わらないのではないでしょうか。

不潔さや体臭は心がけ次第で直せるだろうと言われるでしょう。それはその通りかも知れません。しかしそれは女性の外見も努力やこころがけで改善出来るといっているのと同じことです。現代日本でそんなことを言えば爪弾きにされてしまうでしょう。

確かに体臭は周囲に不快感を与えるのかもしれません。しかし彼ら彼女たちはそれが元で周囲から疎まれるという罰を既に受けているのです。それ以上の人格までも否定するような屈辱を受けさせることはないでしょう。

ついでに言いますが、世界中で女性の地位向上が言われているのは特に我々がまともな考えを持つようになったからではなく、人口の半分を占める女性の力が家庭内だけではなく、社会的にも必要になってきたからです。もしくは、女性に使い出があると気付いたからです。

利用価値があるから利用しようとする、それはいいのですが、それをいかにも人道的な行いであるかのように隠蔽する。なかんずくその欺瞞を自分でも信じてしまう。これは他のことでもよく見られることですがこういったことを克服しないといつまでも同じところをぐるぐる回り続けることになるでしょう。

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